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広島市役所前〜宮島口駅前折り返し
午後1時スタート
(出場選手65人、天候雪)
| 名前 |
所属 |
時間 |
| 1.小柳 舜治 |
(山口) |
2:30:47 |
| 2.西田 勝雄 |
(東京) |
2:30:50 |
| 3.拝郷 弘美 |
(徳島) |
2:31:00 |

終戦の年から、日本陸連は国際陸連から除名処分を受け、日本は国際大会に出場できずにいた。だがようやくこの年の8月、ブリュッセルで開かれた国際陸連総会で復帰が認められた。
国民全体にはびこっていた虚脱感や劣等感を払拭しようと、金栗四三や「近代スポーツの父」と称された岡部平太らが中心となり、「オリンピック・マラソンに優勝する会」を結成。有力選手を集めた合宿が福岡など九州各地で行われ、再び世界を目指す明るい機運が芽生え始めていた。
開催地の広島は、小雪が舞っていた。前年2位の山田敬蔵(秋田)が飛ばして序盤をリードしたが、中間点寸前で宇部興産勤務の小柳舜治(山口)がトップに立った。「最初は非常に寒く、手をこすりながら無自覚に走った」という小柳が温存した力を後半につなげた。
ゴール間際、のちにヘルシンキ五輪代表となる西田勝雄(東京)が激しく追い込み、3秒差まで迫ったが、沿道の群衆の反応でそのことに気づいた小柳が辛くも逃げ切った。5位までが戦後の国内新記録、7位までが大会新記録だった。西田とともに小柳を追い上げて3位の拝郷弘美(徳島)までが、同年の世界ランク4、6、7位に相当する好タイムだった。
「オリンピック・マラソンに優勝する会」で嘱望された当時高校生の田中茂樹(広島)が2時間39分20秒で10位。翌年のボストンを制する足がかりをこの大会でつかんだ。
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