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静岡市役所前~興津薩埵峠西口折り返し
午前11時スタート
(出場選手55人、天候晴れ)
| 名前 |
所属 |
時間 |
| 1.古賀 新三 |
(福岡) |
2:40:26 |
| 2.山田 敬蔵 |
(秋田) |
2:42:21 |
| 3.野田 義一 |
(香川) |
2:44:33 |

戦後の食糧難の時代が続いていた。この年の開催社告には「宿泊は外食券、1泊400円から500円」とある。配給される外食券の量では足りず、地方から白米持参で参加した選手も多かった。都会の選手はそれをただうらやむだけだった。
舞台は静岡へと移った。全日本毎日マラソンで1946~48年に3連覇していた当時の第一人者でベテランの古賀新三(福岡)と、その古賀が「新人ながら強敵」と警戒した当時22歳の山田敬蔵(秋田)とのマッチレースになった。
飛び出したのは秋田から数日分の白米を携えてきた山田。5キロで古賀を早くも300メートル引き離し、折り返し(中間点)を1時間16分22秒で通過した。その時点で山田のリードは約100メートルあった。
しかし後半は古賀がいぶし銀の粘りを見せる。25キロで山田に並び、約10キロを並走。そこから徐々に引き離し、2時間40分26秒で初優勝した。
前年は故障で欠場。一昨年は残り2キロまで先頭を守りながら、右足を痛め、優勝の和田敏一(山口)を「お先にどうぞ」と激励し、2位に沈んでいた。
1939年には2時間31分34秒をマークした名選手だったが、この時すでに42歳。古賀は、この大会を最後に競技生活に終止符を打った。
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